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今日、こうして学べる感謝  ー創立記念講話ー

[お知らせ] 2018/06/20

6月20日(水)は、本校の創立記念日。

荻原理事長の創立記念講話がありました。学園歌の斉唱後、校歴を振り返りながら啓陽高校で出会い、啓陽高校で繋がっていることの大切さについて考え、平和な時代、毎日、こうして学校で学べることへの感謝の気持ちを強くしました。

〈理事長の話〉
私立学校で学ぶ生徒は、自分の学校にはどんな歴史があるのか知ることが大切だ。
本校は、浜松啓陽高等学校としては、13年目であるが、清徳学園としては、大正13(1924)年、開校となる。これまで94年の長い歴史がある。市内でも90年以上の校歴をもっている学校は少ない。
学校は4月開校であるのに、どうして6月20日を創立記念日としたか。それは、今から90年以上前、当時の生徒の家のほとんどが農家であったことと関係している。6月は田植えの時期で、この時期に創立記念日として学校が休みとなれば、何れの生徒も繁忙期にある家業を手伝うことができるであろうという考えから、そうしたと聞く。
学園創設者は、荻原 閑(おぎはらしずか)先生。明治33年、現在の愛知県田原市の生まれだ。家は庄屋で、他の農家の取りまとめ役をやっていた家の8番目の男子だった。10代で上京し、村田謙造先生に師事して会計経理を学び、その後、村田簿記学校の教員となった。将来は、会計士になって独立を目指して頑張っていたが、大正12年、関東大震災に見舞われることとなった。木造校舎で仕事をしていた閑先生は、下敷きになりながらも九死に一生を得ることができた。その後、故郷、田原に戻ったものの、当時はまだ田舎であったため仕事がなく、縁あって、既に大きな織物工場などがあった浜松に根を下ろすことになったということだ。
大正13年、先生は、会計・経理の重要性から下池川町に「会計事務員養成所」を建てる。第二次世界大戦中、多くの軍需工場があった浜松は、東京と同様、アメリカ軍の攻撃を受け、下池川町の校舎全てを焼失した。戦後すぐの昭和22年、新たに中沢町に校舎を再建。時代が進み、昭和30年には、鉄筋コンクリートづくり校舎を建て、閑先生は、産業教育功労により叙勲を受け、昭和60年、惜しまれてお亡くなりになった。座右の銘は、「勇気は、成功の礎である。」である。
その後、第2代理事長は、昇降口の肖像画に描かれている荻原砂代子先生である。校名は「浜松経理専門学校」で、中学校卒業で入る高等課程の生徒がたくさんいて、多方面で活躍したという記録が残っている。この頃、簿記をはじめ、各種競技で全国大会優勝の常連となっている。
平成9年、この三幸町に現校舎を建て、今年で21年目となる。第二次世界大戦後、中国の旧満州(現在の東北地帯)から引き揚げ、三方原の開拓に従事した多くの方々の汗が染みこんだ土地を、学校建設のために提供していただいた。そのお蔭で、平成18年、「浜松啓陽高等学校」が開校できた。現在、60年前のから歌い継がれた校歌を学園歌とし、先に皆で歌ったばかりだ。
今後も啓陽生一人ひとりが、穏やかで落ち着きあるこの校風を受け継ぎ、啓陽生徒であるという自覚のもと、胸の張れる生徒となるよう勉学に励んでほしい。そう期待している。
〈生徒の感想/『生活ノート』から〉
○創立記念日を6月にした理由がわかりました。今は田植えをする家も少なくなって、学校がある日ですが、理事長先生から話が聞けてよかったと思いました。(1年生)
○今習っている先生の、前の学校時代の写真を見て、昔からずっと続いているんだなぁと思った。(2年生)
○ずっと前の学校の様子やその時代がどんな時代だったのかがわかって、重々しい気持ちになりました。(2年生)

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