お知らせ

校名「啓陽」のもとで成長せよ ー創立記念講話ー

[お知らせ] 2019/06/20

本学園の創立記念日となる6月20日(木)、荻原理事長が記念講話を行いました。
毎年この日は、学園を創設した荻原 閑(おぎはらしずか)先生の時代から今日までの歴史や、建学の精神などに触れながら話すことを通じて、啓陽生や教職員が、本学園で学ぶ意義や各々の在り方を考え、一層の愛校心を育てようとするものです。
初めに、大正13年から今日までの95年の校歴を振り返り、閑先生が、東京で会計経理を学んだ後、市内下池川町に「会計事務員養成所」を建てるまでのいきさつ、当時の世相、時代背景について説明がありました。その後、中沢町の時代を経て、現在の三幸町への校舎移転、平成18年の浜松啓陽高校の開校と、学園の歩んだ歴史を振り返りました。
商業教育を窓口とした職業教育と人間教育にかけた閑先生のお姿に思いを馳せながら、自らもそれを受け継ぐ一人であることを深く認識できたようです。
今回は、創立当時の時代背景と併せて、本校が建つ北区三幸町や三方原地区の歴史についても、映像などを交えて学びました。
終戦後、国全体が困窮している中で、国の緊急事業として、この三方原地区には約600人が入植して開墾に明け暮れたことや、学校北側の「白昭」交差点の「白昭」は、旧満州の地名によるものであることなどです。

昭和6年の満州事変以降、太平洋戦争敗戦までの14年間に、昭和恐慌下の農村更生策の一つとして、日本政府が国の政策で満蒙地区になどに日本人を入植移民させました。その数は27万人にも及んだということです。所謂「満蒙開拓」です。昭和20年、ソ連の参戦で置き去りにされ、多くの犠牲者が出ることになりました。
 

〈理事長の講話から〉
啓陽高校のあるこの場所は、命からがら日本へ戻ることができた方々などが、戦時中、爆弾演習場であったこの土地の払下げを受け、開墾したところです。現在はテクノロードという名の道が走っていますが、それ以前は、俗に「満州道路」という名で呼ばれていました。
お願いにお願いを重ねて、学校用地としてこの土地を分けて貰えることになりましたが、開拓に携わった農家の方から、「この三方原台地の向こうに沈む夕陽は、私たちが見た満州の大地に沈む夕陽のようだ。今でも、それを思い出す。」と聞き、「啓陽」の「陽」には、その苦難の時代の中でご苦労された方々への感謝と、平和な時代にあっては、これからの世の中を支える人づくりに邁進するのだという学園の決意を込めて、校名に採りました。
啓陽生は、いつまでもそのことを忘れないでほしい。そして、校名どおりに、「人の道を教え諭し、太陽のようにも明るく世を照らす人」になってほしい。
 

現在、市内有数の農業生産地域とともに、自動車関連の大規模な工場が進出して、開拓当時の様子は変わりつつあります。それ故に令和という平和な時代を迎えて、こうして学校で学べることへの感謝の気持ちを一つにして、学園の歩みとともに生徒一人ひとりが、それぞれの持ち味を活かしながら成長してほしいものです。

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